やっぱり親だった
こんにちは!
シゲです。
事故当時を悔やみ、将来の心配をしました。
僕の次女が、以前電気ストーブから背中の衣服に、
篭り熱のためか着衣発火し、
大きく背中にやけどの傷をうけました。
今回のことで、
僕はやはり親であり、
子の心配をする生き物なんだと
あらためて感じました。
娘を迎えに行った塾で、
その直前に服を着たままの娘の体に火がつき、
背中の服が焼けた娘を引き取り、
焼けた背中を痛がる娘を病院に連れていきました。
車で10分ほどに
大きな総合病院があるのがわかっていたので、
そこに向かおうと思ったけれど、
あまりの痛がりように、
そういえば近くにちょっと大きめの医院があることを思い出し、
ナビで検索して、そちらに。
医院入り口に車を横付けし、
玄関前におられた方に「外科はありますか!?」と叫び聞くと
「ここは内科だけ」との答え。
「やけどだけど、外科のある救急病院は?」
「エキサイカイ病院だね」
そのあいだ、ずっと娘は
「お父さん、痛いよー」と言い続け、
僕は、総合病院に電話する手も大きく震え、
車を運転しつつ、
娘を励まし続けました。
車を病院まで走らせる10分の、
ナビの表示が8分、5分、3分と短くなる時間は、
あまりにも長く感じました。
いつも普通に走っている道路の
道、交差点、信号を通り過ぎる距離も、
あまりにも遠く感じました。
総合病院は、
大きな改築をしているようで、
最初にたどり着いたところから、
ぐるぐると迷路のように緊急外来まで向かいました。
(建物入り口の守衛室から、
入り口玄関戸を二枚くぐり、
ずっとまっすぐ走って、
2枚のガラス戸を超えて左に曲がり、
案内板に誘導され
左に曲がり、
右に曲がり、
するとなんとそこは建物外!
一旦建物を出て、緊急外来棟まで走り、
入り口の2枚のガラス戸を越え、
待合を抜け、
その奥の受付に、、、、、)
しかも受付では、こんな緊急なのに
受付票を書かされるんです!
もう手が震えて、字なんか書けませんよ。
(書き直して2枚書いた上に、
落ち着いたあと妻が再度書き直しました、、w)
背中の服が焼けてなくなっていた事は知っていましたが、
はじめて、処置室で娘の背中を見ます。
処置の先生は、
「これは痛いよね。女の子だから、痕(あと)も心配だよね」
って言ってくれました。
そこで初めてやけど痕(あと)のことに気づくわけですが。
その後ネットで被害を調べたりして、
傷の程度からして、
僕なりの予測では、
やけどの傷が背中に残っちゃうのかなって心配をしています。
僕の次女、親の欲目かもしれないけど、
結構かわいいんですよね。
半分冗談で言うんだけど、
長女が小学校を卒業したとき、
卒業式の日に長女のクラスの男子が
家の前をなぜか徘徊し続けました。
学校一番の悪ガキトップに気に入られていたってことらしいけど、
他の中学に行くからその名残惜しさからか、
男子引き連れ、取り巻き状態w
ほとんどのクラスメイトが行った公立中学では、
他の小学校の生徒まで噂が広がり
伝説の美少女まで神話化されたらしいwwww
その長女よりも僕の見立てではかわいい次女なんです。
思春期、みんなで海に行こう!
そんな時に、
「水着着たいけど、痕(あと)があるからな、、、」
なんて、感じちゃうんじゃないだろうか。
大切な人が出来て、
大切な時間を過ごすとき、
「やけど痕(あと)、見られちゃうんだな」
それはそれで、抑止効果というか、
まあ、ヨシなのかもしれませんが、
妄想族としては、
なにかの時に躊躇するものが出来るなんて
不憫でしかたなかったりするのです。
こんなに人のことで想ったのは
実は初めてかもしれないんです。
僕には、1歳違いの妹を32歳の時に亡くしています。
また、大病をしたパートナーがいます。
そんなことで身内の心配をしたことはありますが、
今回はそれ以上だった。
報告しながら、
親の愛をぐっと感じて、
母親の前で泣きました。
今も書きながら、涙ぐんでるし、
娘を病院に送った軽トラに乗るとやばいよね。
「お父さん痛いよー」がこだまして、
涙が出てくるのを抑えられません。
事故が起こった当初のことは、過去の後悔。
娘の跡が残るかどうかは、未来の心配。
過去や未来にフォーカスするのではなく、
『今ここ』にフォーカスしてみよう。
僕は、家族の絆を感じて、
雪の中でも、いろいろなプロジェクトに向けて
才能を使って楽しんで精進しています。
いま、ここ
にフォーカスすると
何も過不足のない
満たされた状態なんですよね。
ネガティブなさらけ出しが結構得意技なのでw
こんな投稿をしましたが、
結論としてはいつもの通りちょいポジティブです。
子を持って知る親の恩という言葉もありますが、
親に感謝し、
この世に生まれた自分の才能を世のために使っちゃおう!