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本家(ホンケ、ホンヤ、オモヤ、フトカエ、センゾモト)

本家(ホンケ、ホンヤ、オモヤ、フトカエ、センゾモト)

こんにちは!
シゲです。

大工棟梁の作った差鴨居の家、
父方の実家が解体されました。

今日はちょっとナーバスな投稿になるかもです。
 
名古屋地方では父方の実家を
本家(ホンヤ)と呼びます。
 
地方によっては、
ホンケ、オモヤ、フトカエ、センゾモト
なんかの言い方になるのだと思います。
 
僕は建築業を世代で言って
4代続ける会社の跡取りになるわけですが、
本筋は父の兄の家系になります。
 
初代棟梁 平松門太郎
2代目 平松義門(ぎもん)
3代目 平松直久(なおひさ、僕の叔父)
4代目 平松禮治(れいじ、僕の父)
5代目 平松シゲオ(僕)
 
叔父直久が早くに亡くなり、
その後父が代表を務め、
直系に男の子がいなかったので、
僕が入った形になります。
 
祖父母、叔父の家は、
叔母がひとりでずっと暮らしていました。
 
その叔母が、高齢になり
とうとう娘家族と一緒に住むことになるため、
本家(ほんや)が解体され、
土地が売られることになりました。
 
(たぶん)大正に建てられ、
移築もされ、
構造が造作も兼ねる差鴨居の工法の
立派なお屋敷です。
毎日熱田神宮に来て、
信長が寄進したという信長塀を見ることが多いですが、
本家(ほんや)の庭にもそれを模した塀があります。
 
名古屋市内では、少しだけ広めの土地と屋敷でしょう。
 
僕にもっと力があれば、
土地建物を購入し、
それを活用することも出来たかもしれません。
 
でも、
そうすれば
新家(しんや)が本家(ほんや)を乗っ取ったとも
言われかねないかもしれません。
 
その前に、力もないわけですが。
 
100年続く『住まい方』への取り組みの歴史を
僕は現代へと置き換えて挑戦し続けます。
 
歴史には感謝はあれど、
時代とともに『住まい方』は変わっていきます。
 
大切な本筋を見据え、
価値を再発見し、
これからの時代の
ボーダーがなくなる時代に、
『シェア』と『コミュニケーション』を使った
新しい『住まい方』が生まれてくると思います。
 
歴史も深く吸い込みながら、
新しい時代を歩み始めます。
 

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